巣籠週間も後半に入る。庭では石楠花の蕾が綻んできた。
今日の日経朝刊1面の「春秋」になんと長岡鉄男の言葉が「名言」として引用されている。
「手段が目的化することを趣味という」
世の中変わったものである。(笑) 長岡教徒の皆さん、おめでとうございます。
さてコメットさん、もといExogal Cometの試聴の続き。
CDプレーヤーに接続して聴いてみる。
LVB 弦楽四重奏第9番ラズモフスキー第3番 Gewandhaus Quartett
滑らかで奥行き感のあるストリングスが音場感たっぷりに歌う姿が眼前に現れる。
第2楽章の冒頭のチェロの同音連打の音の立ち方に耳がひきつけられ、これはコル・レーニョかピチカートか今まで悩まなかったことに演奏中ずっととらわれてしまう。
おかげで結構長い第2楽章も最後まで聞いてしまう。(笑)
Quincy Jones & Sammy Nastico Orchestra "Basie & Beyond"
我が家のど定番。これがド迫力でゴージャスに鳴らなくては論外となるソース。
期待にたがわず、輝く金色のブラスと突き上げるリズムセクションが音の絨毯爆撃を浴びせかけてくる。
"Grace"でKirk Whalumが聞かせる匂い立つようなソプラノサックスは白眉だ。きらきらと音符の飛沫が降りかかってくる。
合格!
De Lalande作曲 "Lessons De Tenebres" 写真のドクロのCDですな。
15年位前に大阪のO氏の勧めで入手したが、我が家のシステムに馴染まずにここまで来た。
試聴用CDを探す手がなぜかこれを拾い上げた。
シンプルな構成の古楽器の奥深い響きとそこに浮き上がるソプラノの透徹した美しさを再現できることを目指し幾星霜。笑 ヴィオラ・ダ・ガンバの深みのある音色とソプラノの高く昇華する様を評価するオーディオチェック用ソースとして手元に置いてきたが、音楽そのものを通して味わうには至っていなかった。
しかしExogal Cometの素性から、面白い結果が出るのではないかという予感がする。
Lessons De Tenebresとはイースターの直前の週の水・木・金の夜に行われるお勤め(読詠)で、ここではフランスバロック期の王宮内で演奏された私的な聖楽を指すそうだ。
独唱とベースラインとコード進行をサポートするバッソ・コンティヌオBasso Continuoによって構成され、このCDではIsabelle Desrochersのソプラノ、Mauricio BuragliaのテオルベTeorbe、Nima Ben David のviola da gambe、Pierre TrocellierのClavecin & orgueによる編成となる。
このCDではDe Lalandの水曜、木曜、金曜のLesson3曲の前後を、Marin Marais, Robert de Visee, Louis CouperinのTombeau(故人を追悼する器楽曲)が固める構成となっている。
今までは中空に立ち昇るソプラノやヴィオラ・ダ・ガンバの哲学的な音色の再現など、オーディオソースとして断片的に聞いてきたが、今回試聴して初めて「音楽」としての素晴らしさに気付かされ、あらためてライナーノーツを老眼をこすりながら拾い読みしてみた。
音楽的才能に恵まれ15歳にしてルイ14世の御前で歌を披露したというMarrie Anneと一つ下のJeanneの二人のDe Lalandの娘は、1711年に25歳と24歳という若さで天然痘で夭折したという。
そしてここに残される3曲は元となるモチーフはずっと以前から演奏されていたと考えられるが、その様式などから娘たちの死後完成されたものと考えられている。
同じ感染症に苦しめられる人間として、初めてバロック期の作曲家と思いがつながった気もする。
そんなフランス古楽のCDをExogalは単なるオーディオチェックソースを超え、美しくもはかない楽曲として提示してくれるのだ。
1.Marin Marais "Tombeau pour Monsieur de Lully" viola da gamba の音色の深み、彫りの深さ、奥行き感溢れる音場
2. De Leland "Lecon du Mercredy" Isabelle Desrochers 神々しく清らかで浸透力のあるソプラノ 深みのある音色でサポートするガンバとのコンビネーション
ひときわ透明度が増し臨場感に満たされた音場の中にとっぷりと浸る。魂が掴まれ、震え、浄化される。
3.theorbe テオルべ(リュートの一種)の音色、その弦の震えまで見えてくるような立体感
予感は当たった。Exogal Cometの仲介でついに我が家の装置とソースが互いを理解したのだ。
Exogal Cometはこうしたシンプルな器楽編成プラス声楽という構成の音楽に抜群の強みを見せるようだ。
この結果に気をよくして、我が家では今までロットの歌声もシューマンカルテットの演奏もべったりと平板で奥行きがなく、デッドストック化していたDame Felicity Lott & Schumann QuartetによるMahler ”リュッケルト歌曲集”を試しに再生してそれを再確認した。
どこか国際線の機内エンターテインメントで聴き心に残って入手した"私はこの世に捨てられて Ich bin der Welt abhanden gekommen"が、奥行き感をもって蘇る。
Joni Mitchell "Travelogue"
"Woodstock", "Slouching Towards Bethlehem"で満艦飾のフルオーケストラを従えて歌うジョニ姐さん、溢れるばかりの情報量を破綻なく装置が歌いきれるかが試される情報過多ソースだが、ジョニの歌声がバックに滲み出ることなく、オケの細部まで照らし出しながら、ぎりぎりのバランスで壮大な歌の絵巻物を成立させる。
ともすればこれでもかのオイリーな皿が並ぶディナーを無理やり口に入れたような後味となるところ、音と音が激しく絡み合いながらも、見通しを確保して音楽性を確保させる。
Comet嬢、大編成のオケがバックでも、歌い手にスポットライトを当てて浮かび上がらせるのが巧みなようだ。
Helene Grimaud/Es-Pekka Salonen指揮Swedish radio symphony orchestra & choirを聴く。
LVB fantasia for piano, chorus and orchestra in c minor, op.80
Arvo Part "credo" for piano, mixed choir and orchestra
何度も聴いたソフトだが、今まで気づかなかったベールを一枚接いだような音の鮮度、瑞々しさにため息をつく。
特にコーラスのクリアネスが曲を引き立たせる。
トッティと重なっても負けないコーラスの明晰さと力強さ。ソロイストの実体感。圧倒的なフィナーレの量感、音の塊。
どうやらCEC TL3 3.0との相性はすこぶるよろしいようだ。
我が家の電源環境にCometが慣れてきた様子が伝わってくる。たぶんそこそこ長い間通電もされていなかったんだろう。
当初に感じた左右の音場感の「限定感」は霧消し、さらに見通しが良くなってきた。
これにはもう一つ理由がある。
少ないネット上の記述から下記の情報を見つけた。
Exogal Cometを上下さかさまにして設置したほうが音場感が出るというもの。
へん、DACを裏返しにして音が変わりますかってんだ。
まてよ、オイラもTDA1541A DACを裏返しにして使っているなあ。(笑)
上記リンク情報ではCometの基板は上蓋に取り付けられているそうで、裏返しにすることで通常の重力負荷に変えるわけだ。TDA1541Aとは逆の発想。
しかしやらいでか。と裏返しにして試聴したのが上記CDプレーヤー試聴の途中から。
こんな感じに裏返しで再生しています!(Comet)
つまりエージングとセッティングの双方がじわじわと効果を上げているということだ。
その状態でもう一度DELAに戻って音楽ファイルを再生する。
Melody Gardot "The Absence" "Se Voce Me Ama"
これまでのDACの方がむしろアナログ的な音である。それもOrtofon SPUのような音。音のエッジを綺麗に角取りし、ヴォーカルには少しエコーがかかったような音。
対するCometは、カートで言えばLYRA Scalaのような、にじみのない、現代的でエッジの効いた音である。ヴォーカルの唇はありのまま。バックのストリングスはきめ細かく描かれ、遠近感を伴って背後にスーーっと広がっていく。
Karajan 指揮ミラノ・スカラ座管"Cavalleria Rusticana"
"Preludio", "'O Lola ch'hai di latti la", "Preludio Tempo 1" 立ち上がり、立ち下がりの早い、すこぶるトランジェント性能の高い音。
Elton John "Goodbye Yellow Brick Road"
"Funeral For A Friend/Love Lies Bleeding" 96/24 ハイレゾ盤
多重録音にシンセがびゅんびゅんかぶる70年代初頭のエルトンの意欲作。音数が多くバスドラもズンズン入るソースで、これまで大音量とイキオイで誤魔化して(^-^;きたが、ようやく本来の音を再生できたように思う。圧巻である。
と延々と試聴した結果、Exogal Comet嬢が我が家のスターティングメンバーに居座ることに相成りました♪