9月も半ばというのにうだるような暑さの中、ジャケットを片手に上野に向かう。
そう、今日はローマ歌劇場のいわゆる「引越し公演」である「椿姫」を東京文化会館で観劇するのだ。
架線事故で四谷で止まった中央線から総武線に乗り替え、開場時刻に上野に到着、スタバで冷たいものを喉に入れて一息つく。
ひと心地ついた後に会場に入ると、外の喧騒と熱気とは裏腹にちょいとすまし顔で着飾った紳士淑女が集まって、あるものはプログラムを求めあるものは待ち合わせの相手を探し、あるものは記念オブジェの前で写真を撮ったりと様々な行動をとりながら、その顔には明らかな高揚感が浮かんでいる。
もちろん半袖ポロのカジュアル組も見られるが、ダークカラーの礼服で決めた連中も結構目立っている。
う~む、ユニクロのベージュのイージーパンツとギンガムチェックの半袖シャツの上にzaraのベージュのジャケットを着た我が出で立ちは、ちょっとみすぼらしいかもしれない、いやなんの、中身が肝心じゃ、とわけのわからない言い訳をしながら席に向かい既に着席していた長男と合流する。
座席は1階席R7の11で舞台に向かって右側、斜めに切った座席となるが、視界は良好、舞台を間近で見ることができる。
変な先入観を持つまいと事前学習は全くせずにやってきたが、さすがに指揮者ミケーレ・マリオッティとヴィオレッタ役リセット・オロペサ、アルフレード役フランチェスコ・メーリくらいは予習してくればよかったかな、などと思うがもう遅い。
首をめぐらすと5階席までずずずいーっと満席だ。
チケット単価の平均がウン万円として2,303席を乗じると億は超えてくるゾ、などと下品な想像をめぐらすうちに照明が落ち場内の喧騒が収まりマリオッティと思しき人の靴音がオーケストラ・ピットに響いて拍手が沸き起こる。
マリオッティその人が首から上だけを客席に晒して会釈をし拍手に包まれたのち静寂に包まれ、第1部の繊細で美しい前奏曲が弦楽器群によって始まり、同時に幕が徐々に開いて舞台中央の白い階段と黒っぽいイブニングドレス姿のヴィオレッタが現れる。
大広間の天井からは青色の灯がともる大きなシャンデリアがゆっくりと三つ垂れ下がり、白い階段以外はソファとテーブル、そしてその上の燭台、舞台奥のいくつかのドアが見えるのみ、暗く抑えた照明のもと、ヴィオレッタが柔らかなスポットライトが包まれる。
このヴィオレッタが遠目にも素晴らしく美しい。彼女が蠟燭に火をひとつずつ点す仕草に、もう観客はすっかり目を奪われてしまう。
そして軽妙な楽曲が始まるとともに奥のいくつかのドアから夜会服姿の男女の一団が入場し、シャンデリアの灯は黄色に変わり、享楽の一夜が始まる・・・
この集団の夜会シーン、ヴァレンティノ・ガラヴァーニによる衣装がスタイリッシュでスノッブであり、パリの上流階級の夜会、そしてそれが高級娼婦のヴィオレッタがホステスを勤めるものであることを見事に描き出している。
乾杯の歌のエンディング
全体を通して照明の使い方、舞台装置の仕立て、コスチューム、振り付け、などすべてに演出のソフィア・コッポラの眼が行き渡り、ある種「映画的な」演出が凝らされてそれが「大時代的な見え見えのメロドラマ」に幅と厚みを加えて現代の鑑賞に堪えるオペラに昇華させた、といえるかもしれない。
第一幕のシャンデリアの照明の色の変化、階段による上下方向の空間の拡張、にとどまらず、例えば第2幕第1場のヴィオレッタ邸のシーンは大きな窓のテラスハウスの舞台設定で、ガラス越しに見える景色ー雲や太陽の光ーが時間の経過とともに変化していく様が精妙に描かれ、またドアを開けて召使が入ってくると室内に入っていた花びらが風で舞い上がる、など細かい仕掛けで観衆を楽しませたり、第3幕の死を迎える部屋は青を基調にーまるでフェルメールの絵画のような落ち着いた空間を作り出し、白い夜着を纏うヴィオレッタの姿にその運命を明示させるーなどがその一例である。
第2幕2場でヴィオレッタに札束を投げつけたアルフレード
第2幕第2場の絵を第1幕のそれと比べると女性の夜会服が黒に代わり、赤いドレスのヴィオレッタの存在感を引き立たせていること、またアルフレードと決定的な別離を迎えるという厳しい場面となることを色感的に指し示している。
衣装面、演出面の優れた点を気付くままに挙げてきたが、それらを引き立たせたのは何といってもヴィオレッタを演ずるリセット・オロペサの歌唱力、表現力である。
素人の僕がそれを表現することは憚られるが、人間の体がこうまで素晴らしい楽器として機能するということを見せつけられた。
リッカルド・ムーティが日経「私の履歴書」で1990年にスカラ座で26年ぶりにトラヴィアータを復活上演した時のエキサイティングな体験を語っているが、様々な障害を経て上演にこぎつけたものの、第1幕の終盤に差し掛かっても異様に静かなままの客席を背中に感じてヴィオレッタ役ティツイアーナ・ファッブリチーニに楽譜にない超高音の「ミ・フラット」を「発射」させて冷ややかな観衆を熱狂させたくだりが紹介されている。
この日のオロペサがその「ミ・フラット」を出したかわからぬが、観衆の心を熱狂させたことでは90年のスカラ座に引けを取らぬのではないか。
それほどオロペサの声の表現力とその再生帯域-特に高域ーの広さは感嘆に値するものであった。
あわせて合唱の規律の高さ、声質の良さ、そしてローマ歌劇団響の演奏水準の高さも際立っていた。
引越し公演、などといっても所詮極東公演の一つで本場とは比べるべくもない、という懸念は吹き飛んだ。
この人達、本気だ。本気でそのヴィルトゥオーソを発揮してわれわれ日本人をノックアウトしにかかっている。
嬉しいねえ。
嬉しくて普段は幕間に飲まないワインの杯を息子と共に空けて彼らの特筆すべきパフォーマンスについて素人語りする楽しさ!
終演後も居酒屋で長男と行った感想戦でも盛り上がり、この素晴らしい公演に立ち会えたことをお互いに祝福した。
長男は慌ててトスカのチケットの「売り」情報を検索し始めたが、果たして・・・・笑
(写真は最初のもの以外日経新聞その他ネット上のものより無断転載)