続 両雄並び立つ Mark Levinson ML-1 vs ML-7

1月最後の週末はレコードとCDを聞いて過ごす。

モーツアルトの「アマデウス」のサウンドトラックを聴き、新たな魅力をたたえた曲をいくつか発見した。「ドンジョバンニ」で騎士長が地獄に落ちるシーンや「レクイエム」は以前あまり魅力を感じなかったのだが、ML-1で聴いてその理由が分かった。
以前は低域の分解能がそれほどでもなく、音が固まって重苦しく聞える傾向にあったのだ。ML-1ではそれがほぐされ、開放されて音楽となって聞えてくるのだ。

またJ.ベック グループ「ベック オラ」やアル・クーパー&マイク・ブルームフィールド「フィルモアイースト・ライブ」も「音のこもり」から開放され、思いがけない新鮮な音に出会う事が出来る。

ところで大掛かりな模様変え以来、アナログ再生時に再々CB無線の信号に悩まされてきたが、試しにゴールフォムンドSTUDIOのサーボコントローラーP-7のパワーを降圧トランスを通した100V電源から取ってみると解消した。結果を見れば簡単だが、電源関連製品の「外来ノイズの除去」機能を確認出来た。こうしてみるとやはり電源まわりには今後手を入れる余地があるなあ。(後日談:CB無線の混信とはそう簡単に手は切れなかった。その後も悩まされることになる。何故か分からないが、頻繁に混信する時があるかと思うと、パッタリ止んでしばらく何も障害の無い時があるのだ。)
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さて久しぶりにML-7にケーブルをつなぎ、ミュンフン・VPOのCD、ドボルジャーク「弦楽セレナーデ」を聴く。第一楽章冒頭のチェロ・バイオリン・ビオラの音を聴いて、今迄と聞えかたが違う事に戸惑う。緻密で生々しく、ステージ上の前後の位置感覚まで伝わってくるようだ。

この変化は何処から来るのか?ひょっとしたら、しばらく固定していたスピーカーの内振り角度に手を加え、075がまっすぐこちらを向くくらい内側に振ってみたせいだろうか?
かつてこの配置にした時は、曲によって定位がばらばらになってしまい、結局元に戻したのだが、ML-7ではそうした乱れはない。すこしステージが小さくなった気はするが、この方が視覚的にも音をまっすぐ受け止めている感じがする。

翌日ミュンフン・VPOのドボルジャーク「弦楽セレナーデ」をマークレビンソンML-1で聴いてみた。しかし前日発見した奥行き間は出てこない。再度ML-7に繋ぎかえるとしっかり前後方向の音場が出現する。アポロのセッティングの効果ではなく、ML-7のなせるわざ、という線が強くなった。
ううむ、この差は大きい。続けて聴くゲルギエフ「春の祭典」は奥行き感・臨場感が圧倒的で、今迄自分の装置で再生した中でもっとも生々しい音であった。
次にかけたビルエバンスのWaltz for Debbyでは上述のCDのような「奥行き」は出てこなかったが、take1と take2のマイクあるいは楽器のセッティングの違いは克明にわかる。

以前も書いたが、ちょっと聞いただけではML-7のこの魅力に気付かないかもしれない。ML-1を聞けば中低域の押し出しの強さがすぐにわかるのとは好対照だ。

もちろん未だセッティングも含め発展途上故、音も変わる可能性もあるが、この独特の臨場感・奥行き感というものは私には新鮮な発見であった。
ML-7でアナログレコードを聞き音場感を確かめたいが、ML-7のフォノイコライザーL3AはMCカートリッジ対応で、私はそれを持っていない。

しかしML-1はML-1で独特の魅力を持っている。エルビス・コステロ「ノース」を聴くと、どきりとするような生々しさである。
by windypapa | 2005-01-30 08:55 | オーディオ | Comments(0)

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