テープは最後に聴いて

目に青葉山ホトトギス初鰹 山口素堂の句をなぞるような美しい日だ。
この句に「かまくらにて」という前書があることは知らなかったな。江戸時代から相模湾で鰹がとれていたんだね。
こちとら小さい時から食べていたのは鰺ばっかり。(笑)
それでもこんな日は大船軒の鰺の押し寿司弁当と缶ビールを求めて、グリーン車で横須賀線を下って行きたい、そんな日和だな。

ところで、先日オフ会で伺ったお宅で、DSDデータに変換されたテープの音を聴かせていただいたことが、あらためてテープというソースに注目するきっかけとなった。
1年ほど前に譲ってもらったテープソースがろくに再生もされずに段ボール箱に埋まっている。
(-_-;)
まずは収納ラックを求めて、段ボール箱の中のテープとレコードを整理して並べる。
それでも収納しきれなかったテープは、段ボールの中で次の機会を待て。(笑)
そして30本ほどもある10号リールテープを毎日1本、順番に聴いて行こう。
デッキはREVOX A77の2Track機だ。

そんなオーディオ生活を最近続けている。


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なかでも2日目か3日目かに再生した、ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルのチャイコフスキー「悲愴」(2Tr 19cm)には驚いた。
まるでスタンピード。奔馬の群れが荒れ狂ってSPからこちらに向かって雪崩れ込んでくるような音響だ。
最初にカートリッジのスタイラスが着地する音があるので、レコードを録音したものと知れるが、元のレコードにこんな物凄い音源がつまっていたのだろうか?
愛聴盤のバーンスタイン指揮NYPの音が完全に霞む。
さぞかし名のある?オリジナル盤に違いなかろうと見当をつけ、譲ってもらった方に伺うと、「単なるイタリア盤だよ」とのこと。
ううむ、わからん。
どう考えてもレコード再生では出て来ようがない、凄まじい音なのに。
次の日に聴いた、同様にレコードから録音したセル指揮クリーブランド響によるブラームスの交響曲2番(2Tr 19cm)はレコードの音しか出てこない。
すべてを黄金に変える打ち出の小槌ではないらしい。(笑)

別の方から譲っていただいたテープ音源は、FM放送が主である。こちらはあまり耳にしない作曲家や演奏者の音源もあって、興味深い。
一昨日聴いたLouis Moreau Gottschalk(ルイス・モロー・ゴットシャルク)という作曲家もその一人で、彼のピアノ小品集をIvan Davisというピアニストが弾いた音源(2Tr 9.5cm)に、こちらの琴線に触れるものがあった。
ゴットシャルクというアメリカ人の作曲家は、ウィキで見る限り数奇な運命を辿って早逝しているが、残された音源の、なんと生命力に溢れていることか。
まるで五月の太陽の光が、青葉の隙間をくぐりきらきらと降り注いでくるようじゃあないか。
こんな素晴らしい作曲家と演奏が埋もれているなんて。勿体ない。
早速Discogsで検索してヴィニルを注文しようとして手を止めた。


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「きっと、これもテープの『魔法』がかかっているからなんだろう」
うん、そうに違いない。
昨日、確認するためにもう一度ドットシャルクを聴いてみる。
うーん、ますます魅了される。こいつはお宝リストに追加しよう。

毎日、テープ音源を聴いていき、どれだけお宝が発見できるか楽しみなのだ。

ところで困ったことが一つある。
テープを再生した後に聴くヴィニルもCDも、いま一つ冴えないのだ。

今まで畳2畳大の紙に豪快に墨書していたのが、急に机の上に文鎮を置いて慎ましく習字をしているような感覚といおうか。
フェラーリで深夜の首都高を一回りしてきた後に乗るプリウスの乗り心地といおうか。
いや、フェラーリなんて乗ったこともないけど。(^^ゞ

やっぱり、他のソースを聴くときは、テープを最後にしなくては。なんてことがあらためて分かった次第。


by windypapa | 2019-05-16 15:39 | オーディオ | Comments(0)

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