Walpurgis

昨日は久しぶりの秋晴れに恵まれた昼下がり、ミューザに出かけた。

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この日はDan Ettinger ダン・エッティンガー指揮東響の「名曲全集」公演で、メゾ・ソプラノEdna Prochnik エドナ・プロホニクによるワーグナー「ヴェーゼンドンク歌曲集」とヘクター・ベルリオーズの幻想交響曲というプログラム。

「幻想」をキワモノ的にみて遠ざける方も多いようだけど、ヘクターの「天才」がいかんなく発揮された傑作と考える人も多いはず。公演の多さがそれを物語る。

ダン・エッティンガーは1971年イスラエル生まれで、マンハイム州立歌劇場音楽総監督を務める実力者。銀髪をツンツンに立てたヘアスタイルは、結構な傾奇者を予想させる。
エドナもイスラエル生まれでワーグナー作品における評価が高い歌手とのこと。
とはいえ、ワグナー歌曲への理解も思い入れも薄い浅学の徒である我が身には、最初のプログラムは予想通り没入できないまま、時間が過ぎた。(-_-;)

ああ、これなら犬を連れてドッグランに行った方が良かったかなあ。などと考えながら、休憩時間をやり過ごす。

あらためて客席を眺めると、七分行くか行かぬかで座面の赤がいやでも目立つ。おまけにシニアの客層が大半だ。
秋晴れの日の昼下がりという点を差し引いても、少々寂しいものがある。
「お前に寂しいなどと言えた義理か」という声が聞こえてきそうなので口を噤み、お目当ての「幻想」を待とう。

さて「幻想」のオーケストラ配置。ヘクターの指示に従いオケの前、左右に2台づつ配置されたハープに驚かされる。作曲者指示では左右対抗配置となるべき第1・第2Vnはしかし、指揮者の向かって左側から順に並び、Cello、Violaと展開する。

イングリッシュホルンを含む木管は第2VnとCello後方の正面雛壇に並び、その後方雛壇に金管楽器群が席を占める。最後方左右のグランカッサに挟まれるように3組のティンパニが、そしてCelloの右後方に8本のコントラバスがひしめいている。
鐘は指揮者から見て左後方に着座しているようだが、例によって舞台左側面2階LA席に占める我が位置からは見ることができない。(笑)(公演後に正面から撮った上の写真ではしっかり舞台左側奥に鐘が見えますな)

いよいよ「幻想」開演、エッティンガーが指揮棒をもって構えるその姿にピリピリと緊張感が走る。静々と木管が幕を開け、ストリングスが美しくも長い序奏を奏でる。こちらまで息をするのが躊躇われるようなひと時だが、なんの、百戦錬磨の東響のみなさんは見事なアンサンブルで船を無事航路にのせていく。たいしたものだ。
いや、舵を握っているのは銀髪の傾奇者(失礼)エッティンガーか。
彼のメリハリの効いたタクト、身振り、そして時に大きな音を立てる右足が、アクセルとブレーキを上手に踏み分けてオケを大きなうねりにのせていく。

後で振り返ると、彼は第3楽章までをかなり意識して抑制を効かせて演奏していたように思われる。
統率の取れたストリングスと木管楽器群のアンサンブルがそれに応えて、「ウェルテンパード」でスリリングな演奏が展開された。もちろん第1楽章の劇的な展開は堪能できたのだが、それはまだまだ序の口ということが後になって分かったってこと。

そして第4楽章前の小休止中、黄金色に輝くチューバ、トロンボーン、トランペットの金管第2師団とコントラバスの補充2名が入場し、ティンパニ・グラン・カッサ師団とともに最後の2楽章を一大スぺクタルへと導くのだ。

特に終楽章はまさに悪霊が跳梁跋扈するサイケデリックな夜を、見事に、エネルギッシュに描き切った。

その伏線は、例えば終楽章の導入部の木管の「タータラタッタッタッタ―」の語尾の変調をデフォルメし、また後半の「怒りの日」ディエス・イレのテーマが導入された後、いったん収まりまた最小音から魔女のロンドがヴィオラとチェロで立ち上がるところ、弓の先端で(あるいは妙な角度で)弾くことから生じる音の不気味さのデフォルメ、などに見られるが、これらがサバトのグロテスクさ、サイケさを惹起し、魔神が闊歩するが如きディエス・イレのテーマと複合し、未曾有のクライマックスに雪崩れ込んでいくのであった。

最後の一音がホールの天井に抜け、エッティンガーのタクトが止まったとき、平均年齢の高い客層が占めたミューザは、その年齢を裏切る熱狂に包まれた。

エッティンガーは、東響のメンバーは、見事にミューザの聴衆を虜にしたのだ。

いや、実際、この「幻想」は凄かったなあ。ふう。


by windypapa | 2018-10-22 16:27 | music | Comments(0)

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