音楽の贈りもの

東京交響楽団の2018年度演奏会プログラムが始まった。
15日はその劈頭を飾る第65回定期演奏会を聴きにミューザ川崎へ。


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指揮:ジョナサン・ノット
曲目:マーラー交響曲第10番からアダージョ
   ブルックナー交響曲第9番

家人の帰省に合わせ、チケットを求めたのが10日(火)であったが、幸運にも3階LA席を入手できた。
ノット×東響の「追っかけ」を自称されるS氏に来場を確認すると、「当然」とのお答え。(笑)公演前、休憩、デブリと感想を交換し合い、博識のS氏から情報を得るとともに体験を共有した。

それにしてもである。
ノット×東響の評判は聞こえていたが、これほどまでの演奏を聴かせてくれるとは想像もしなかった。

そもそも、マーラー10番はハーディング×VPOのCDが手元にあるものの、最初に聴いたきり殆ど聴いた記憶がない。
ブルックナーはヨッフム指揮ベルリンフィルのヴィニルをほぼ毎月のように回しているが、第3楽章までたどり着くことは、まずない。(-_-;)

クラシカルミュージックに関する素養・感性の貧困がばれるので、あまり大きな声では言いたくないが、マーラー10番の捉えどころのなさ、茫洋とした展開には意識がついて行かず、眠りに落ちるのが常である。現に頭に残る旋律を言えと言われても思い浮かばない。

ブルックナー#9は、僕にとって音楽を「建造物」として眺めるための曲であり、管楽器の音色とフォルテシモのエネルギーを聴くのが目的化している。
しかし何回聞いても「ブルックナー休止」と独特な和音に注意が逸らされ、ひとつの音楽作品として楽しむことができない。

今回も、音の良いミューザで、ノットが振る東響がどのような音の伽藍を構築するか、ひとつ聴きに行ってやろう、というのがもともとの目論見であった。

しかし、ノットが登壇し、彼のタクトでマーラーが鳴り始めるや、その繊細で美しい弦楽器のアンサンブルに聴覚が痺れるように反応した。
まるで森の中の湖にかかる朝靄の中を小舟で漕ぎだしていくような導入部だ。
劇的な展開もなく、心の中に次々と思い浮かぶ様々な想念を反芻しながら、湖上でゆらゆらとたゆとう、そんな気持ちになりながら、はしたなくも幾度か意識が体から離れていった。

休憩時に会ったS氏は、ノットのタクトに反応する東響のオケの音の素晴らしさを称賛し、端々まで感性がしみ込む演奏に感嘆されていた。意識が体から離れてしまった私は恥ずかしさを噛み殺しながら、相槌を打つ。(笑)
すでにこのとき、S氏はこの日特別なブルックナーを聴ける予感に捉われていたようだ。

休憩後始まったブルックナーは、氏の予感通り、すべてにおいて圧倒的で、確信的で、そして啓示的であった。

この曲が語られるときに必ず引用される、「神」「神秘」「荘厳さ」がそこあり、しかも概念としてではなく、手で触れられるかのような実体的な姿で提示され、驚異的なエネルギーをたたえる湖面がホールを満たすように音楽に包み込まれ、耳元で「確信的な啓示」を述べるのが聞えるのだ。

ノットと東響の、なんという信頼感と一体感。その紡ぎ出す音楽の、至上の美しさ。

この体験を表現するための言葉を選んでも、言葉遊びに終わってしまい、もどかしい。しかしこの日会場を埋めた(といっても7分の入りだったが・・・)聴衆の何割かは、同じように鳥肌が立つ思いをしたのではなかろうか。

ノットの構築する音楽のイメージを摑むうえで参考になるインタビューが東響2016年のパンフレットに記載されているので無断で引用しよう。
音づくりの具体的なイメージを問われて、こう答えている。

「私が一番に試みようとしているのは音の組み立てです。低音を中心とした組織構造にしてゆく。いわゆる明るい音とは別物で、どちらかというとドイツ的な音ですね。ファフナー(ワーグナーのオペラの登場人物のひとり)が金の上に座しているように、“座る”音でなければいけない。低周波の音というのは、それだけ倍音が上に積み重なっているわけです。なので、高音はそれに合わせなければいけない。低いところから積み重ねる音はとても安定感があります。そういう音の方が実際に白と黒のシェード(陰影)のニュアンスが表現できますし、いわゆるダイアモンドのような輝きではない、内面から語る音を作り出したいのです」

ノットがオケから引き出す音の魅力の一端を知るうえで、非常にわかりやすいコメントだと思う。

また、同じインタビューでこんなことも言っている。
「たとえばテンポひとつでも、常に動いていて、速くなったり遅くなったり、本当に微妙です。この微妙さというのが、私はとても好きなのです。音楽作りは、とかく極端に走りがちです。なぜなら、大袈裟にやるとわかりやすいから。理解されやすい、成功しやすいからといって、そういう罠にハマりたくありません。私は繊細な音楽作りを目指したいと思っています。そのような音楽の味わいをお客様と一緒に分かち合いたい。音楽はとにかく人々の人生をよりよいものにします。より深く聴く、そのお手伝いができれば嬉しいです」インタビュアー 松本學 2015年7月17日

演奏後、落ち合ったS氏とともに興奮で頬を幾分紅潮させ、ワイングラスを片手に、プログラミングの妙から信仰的核心に至るまで、縦横無尽・快刀乱麻の(笑)にぎやかなデブリを行ったのは言うまでもない。嗚呼、幸せなひと時よ。

日曜の午後、川崎というロケーションゆえなのか、若干空席の目立つ客席は残念であったが、ウィーンに足を運んでも聞くことができるとは限らない、素晴らしいオーケストラの音が、この日ミューザに鳴り響いたことを記しておきたい。



by windypapa | 2018-04-15 22:05 | music | Comments(0)

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