パラナ川の奔流を下る

なにか頭に引っ掛かるものがあり、真空管の破損についてネット情報を検索する。

あまり有効な情報はなかったが、その中の一つに手がかりがあった。曰く「空気が混入すればゲッタが白く変色する」
確かに過去棄損したRE604は、内部が白く変色していた。(過去の過ちを振り返るのは辛い!)
しかし今回のWE310B、白濁していないぞ。割れたと思ったところを指でなぞっても、鋭利な断面の感覚はない。
落ち着いてよーく見ると、トップキャップ周りの接着剤の残滓の白濁した部分に、一部1mm平方くらいの面積でクリアな部分があって(まさに接着剤の残滓を除去したところだったのであろう)、周囲との比較において一見ガラスがないように見えるのであった。

つまり、WE310Bは生きている可能性が高い?

じゃあなぜ異音が発生したかと言えば(異音が発生すること自体生きている証拠だよな)、トップキャップにはんだ付けされていたGridからの引出し線が外れてしまったからだと、ようやく思い当たった。

外れたトップキャップを修理する際、仕組みをよく理解せず、Grid電極の引出し線をまっすぐ立てておけばトップキャップの内部の頂点に接して導通するものだと思っていた。

浅はかである。

本来、Grid電極の引出し線を立ててキャップを被せ、キャップ上面の半田を溶かして穴を露出させ、そこに引出し線を通してはんだ付けしなければならないのである。
Grid電極の引出し線が短くてキャップの頭頂部に届かない場合はどうするのか?
引出し線に銅線をつぎ足し、キャップ頭頂部に届かせるのだそうだ。

自分の無知蒙昧が恥ずかしく、腹立たしい。

百均で入手したマニキュアの除光剤を使って接着剤を溶かし、キャップをはずしてもう一度作業してみよう。
右chも同様だ。

週末のto do listがまたひとつ、増えた。ふう。

そうこうしている間に、eBayとヤフオクからWE310Aラージパンチとスヴェトラーナ互換球が着々とこちらに向かっている。

やれやれ、いまさら取り消しもできないから、せいぜい聞き比べをしてみようじゃないか。

というわけで、嬉しいやら情けないやら複雑な感情を抱えて地下室に籠り、HD TracksでD/Lしたカラヤン指揮BPOのBeethoven交響曲全集から、第9番第1楽章を再生する。

良質なソースは、冒頭の無音状態の部分のホワイトノイズを聴くだけで、音の良さが予感される。
それがまさにこの録音だ。

声楽陣は
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)
ヒルデ・レッセル=マイダン(メゾ)
ヴァルデマール・クメント(テノール)
ヴァルター・ベリー(バス)

以下e-onkyoからの引用。

トラック1-4 1961年12月録音
トラック5-8 1962年1月録音
トラック9-16 1962年11月録音
トラック17-20 1962年3月録音
トラック21-25 1962年2月録音
トラック26-29 1962年3月録音
トラック30-33 1962年1月録音
トラック34-36 1962年10月録音
トラック37-38 1962年11月録音

録音場所:ベルリン、イエス・キリスト教会
独Emil Berliner Studios制作2003年DSDマスター使用。

"カラヤンがベルリンpoの首席指揮者に就いたのは1955年。彼は前任のフルトヴェングラーの遺産ともいえるベルリンpoの重厚な響きを継承しつつ、新時代にふさわしい音楽を求めて徹底的にオーケストラを鍛えてきた。その成果を問うべくドイツグラモフォン(DG)に録音したのが61~62年のベートーヴェン交響曲全集だ。録音会場は響きの良さで知られたイエス・キリスト教会。録音エンジニアは後に“カラヤンの耳を持つ”とまで言われたギュンター・ヘルマンスだ。「英雄」冒頭のアタック。合奏が徐々にアクセルを踏み込み、やがて強烈な音響の渦。ブラスの鮮烈な咆哮と美しくコントロールされた木管とのコントラスト。このアグレッシブで推進力のある音楽は、かつての巨匠たちが表現してきた音楽とはまったく異なる新鮮さで聴き手を虜にした。録音の素晴らしさも特筆もので、「田園」の嵐のシーンなど少々の硬質感はあるものの、最新のデジタル録音に比べても鮮烈さでは劣らない。それにしても、この頃のベルリンpoの底力は凄まじい。カラヤンの全録音中でも、この全集をベストに推すファンが少なくないのもうなずける。"(text by 長谷川教通)提供:CDジャーナル

しかしこうしてみると、e-onkyo(6,400円)のほうがHD-Tracks(60.00$)よりむしろ安いじゃないか!
先入観で行動し、ばたばた余計なことをする癖がいくつになっても取れない。悲惨である。

まあいい、語るべきはその音楽である。

第9交響曲第1楽章、録音テープのホワイトノイズが漏れ出すと、それはまるで早朝の川面に立ち込める霧か靄のようにリスニングルームの空間を満たす。

そして聴き慣れたはずの導入部の弦楽器のささやきが聞こえ始める。南米の大河パラナ川を、朝靄が煙る中、川面を滑るように漕ぎ出していく小船の上に僕は立っている。

徐々に流れが急になり高まる緊張、そして迎えるフォルテシモ。船は濁流にのまれ、木の葉のように舞いながら大河を流されていく。

その後水流の緩急に身を委ねながら、過去と未来がドラマチックにフラッシュバックして脳裏に挿入され、目前の運命とともに混然一体となって濁流を下っていく。

こんな主観的なヴィジュアルイメージで楽曲を語るのは的を外れているのかもしれないが、その時僕の目の前に広がった光景はまさにこのようなものであり、それはまさにカラヤンとBPOの音響が第9交響曲の音楽を借りて聴き手を放り込んだ音の奔流そのものであった。

突然行ったこともないパラナ川が出てくるのは、前日に読了したミステリ「ブエノスアイレスに消えた」の読後感が生々しく残っていたからであるが、さはさりながら、このようなリアルなイメージに包まれるのはそうそうあることではない。

思わず知らず、手を握り締めるように聴き入ってしまった。

躊躇うことなくそのまま一気に最終楽章まで再生する。なんたるパノラマ、なんたるダイナミズム。あらためてこの楽曲のドラマティックな構成に引きずり込まれる。

普段「オーディオ聴き」をするときは、交響曲はせいぜい1楽章か2楽章止まりで他のソースに移るのが常である。

限られたリスニング時間でいろいろなソースを聴くためにはやむを得ないし、こちらの集中力も持たないのだ。

それがまるでコンサート会場で演奏を聴くように(頭の中の勝手なイメージと戯れながら)、ぐいぐいと楽曲に、BPOに、引張って行かれるのだ。

そして最終章に待ち受ける救済と歓喜の時。

そのとき僕はどこか野外の開け放たれた空間で、夜空に光るオーロラを眺めている。

光の粒子が、きらきら輝きながら降ってくるただなかで、天上の声を聞きながら。


ねえ、オーディオにこんな力があったって、知っていた?

本当に凄い。驚いた。

by windypapa | 2017-08-30 22:29 | オーディオ | Comments(0)

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