その二人がやってきたのは水曜の晩だった。
一人は薄手の素材の中折れ帽を被った中背の男で、歳の頃は60歳半ば、布袋さんを思わす福顔である。
もう一人はべっ甲の眼鏡をかけた上背のある50がらみの男で、簡単なジャンパーを羽織っているが身のこなしに隙がない。
まだ空に茜が残る時分にキッチンで簡単な夕食を摂っていると、携帯が鳴り、あと5分で到着するから迎えに出てくれと言う。
いわれるままにアパート下のロータリーに出て待っていると、件の男達の乗った旧式のセダンが目の前に止まり、そそくさと重くて黒い硬質の箱状の荷物を2つ降ろす。
べっ甲眼鏡と一緒に重たい黒い箱をカートに乗せてアパートの部屋に運び込み、車を地下駐車場に入れて来た福顔の男と部屋で落ち合った。
・・・なんて書き出しで今日は始めよう。
福顔はアンプビルダーのムンさんでべっ甲眼鏡はアンプ製作を思案中の李さん(Klangfilmの李さんとは別人)である。
WE271Aアンプのノイズ解決のアイデアが浮かんだと言うムンさんが、戯れる会合宿が終了した翌日に僕のアパートから回収したアンプが改良されて持ち込まれたという訳だ。
李さんはタルマジギルの上の方に広大な屋敷を構える実業家だそうで、既存のハイエンドシステムに満足出来ずにビンテージの庭に足を踏み入れた方らしい。ムンさんの評判を聞き工房の門を叩き、Siemens Ca-Baのラインアンプ製作を思案していると言う話。
この日ムンさんがWE271Aアンプを納めに行く僕のアパートに、ライン段にSiemens Ca-Baを使ったプリアンプがあると聞いて同行の運びとなった由。
そういう経緯を訪問の直前に電話で知らせてくるところが韓国らしいと言うか、ムンさんらしいというか。まあこちらが独り暮らしの気楽な身分と知ってのことなのだろうが。
挨拶もそこそこに、運び入れたWE271aアンプを結線しシステムに火を入れてお茶を入れる用意をして二人のもとに戻って来ると、ムンさんが誇らしげに笑いながら「ノイズが無くなっただろう』という。
突然の来訪者に面食らって気付かなかったが、確かにパワーアンプから出ていた唸り音がきれいに無くなっている!
事前に李さん(Klangfilmの方)を通して聞いていた話では、パワーアンプの平滑回路に使用しているチョークがノイズを出していることに気付いたので、それを外してコンデンサー平滑方式に変えたらノイズが収まったそうだ。
コンデンサーも良質のものを取り寄せたので音質的にも力感が出て良くなった、という説明だ。
FJZ-AJF.DEというコンデンサーだ。16μFで耐圧550/600VというSPEC。
あれだけ悩まされてアパートのロータリーの敷石をくすねてパワートランスの上に重しに置いていたほどのノイズが、そんなことできれいさっぱり消えるなんて。
嬉しい気持ちの後に、もう少し早くわかっていたら戯れる会合宿で良い音で聞いてもらえたのに、という悔しい思いが湧いて来る。
ま、しかし、ムンさんの満足そうな福顔を見たらそんなことはどうでもいいか、と腹に収める。
実際、火を入れたばかりなのになかなか良い音がでているではないか。
李さんはとにかくバイオリン曲を愛聴されている、ということなのでギル・シャハムのSchubelt for Twoなどを聞いてもらう。
その他パコデルシアのギターなどRQした曲に真剣に耳を傾けたあと、もうわかった、という仕草で試聴は終了。二人は部屋を後にした。
まあそれにしてもまがりなりにも他人様に時分の音を聴いて貰うのはそれなりに緊張する。それが初対面のひとなら尚更である。
いったい他に見ず知らずの人を自宅に上げて自分の大切に育んだものを惜しげも無く見せる趣味があるものだろうか?
ましてや言葉も満足に通じぬ相手である。
まったく我ながらあきれる。
まあしかし、ムンさんのビジネスを少しでも応援できるならいいではないか。
ムンさんのおかげでWE271aアンプのノイズ問題も解消したことだし。
パワーアンプのノイズのストレスから開放されて、伸び伸びとした気持ちで音楽に向き合うことが出来る。
李さんから借出したノイマンの超稀少な昇圧トランスBV33aで聴くアナログもなかなかのものだ。
昇圧率が1:20なので、使用しているカートリッジMLC1には少し低く、最初はノイズ成分が目立ったのだが、アースをプレーヤー〜昇圧トランス〜プリアンプで結ぶと大幅に減少したのだった。
キブニチョアヨ。(気分が良い)
そして翌日も新たな訪問者がアパートのドアを叩くことになる。