ギムレットにはまだ早い

旧正月の3連休の終わりの日。
独り身の異邦人である僕には特別にやることもない。いつもと同じように1日をやり過ごす。
いつもより1時間ほどベッドの中で惰眠を貪り、トマトジュースとトーストと珈琲という簡単な朝食をすませ(珈琲豆を挽く手間は惜しまない)、いつも通りの回数×セット数のプッシュアップを行い、新聞代わりにネットでニュースの上っ面を舐め、ハングルの単語を少しばかりおさらいし、部屋の中を掃除してから今日の気温を確かめてジョギングの服装を整える(今日はちょうど零度だったのでスパッツを二重に履く)。水営河(スヨンガン)沿に整備された散歩道をいつもの距離を走り、浴槽に湯を張って汗を流してから、みかん3個・食パン・適当にこしらえたツナ卵サラダとレタスという簡単なランチを腹に流し込む。
洗濯機を回して再び珈琲を飲みながらPCでネット情報を眺めてアンプのスィッチを入れ、コジェナーの唄うヘンデルのアリアを聴きながらシャツにアイロンをかける。シャツをクローゼットに片付けたらソファに腰を沈めてコルトレーン&ハートマンのバラッドを聴きうたた寝をする。目が覚めたら観に行こうと思っていた映画の時間に間に合わなくなっていたので、マーラーの10番を少し抑えた音で流しながら読みかけの「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を読む。マーラーのシンフォニーと「世界の終わり」が意外に調和することに気付き、何か重大な発見をしたような気持ちになる。

先頃帰国した時に書架から取り出して持ち帰った書籍だが、25年以上前に読んでから読み返した記憶もない。重っ苦しい「世界の終わり」とハヤカワミステリばりの「ワンダーランド」のちょっと気取った文体が記憶に残っているだけだ。50を超えてから再読してみると、最初に読んだ時に気付かなかった、ヒトが背負い込む幾つもの「痛み」や「哀しみ」が、物語の底流に埋め込まれていることに気がついた。ラジカセで聞いても気付かなかったけど、実はコントラバスの音が低く絶え間なく響いていたんだね、みたいな感じかな。
チャンドラーが書きそうだけど実際には村上春樹のクレジットが入った文章の中で気に入った箇所を拾いだす。例えば

quote
私は声をあげて泣きたかったが、泣くわけにはいかなかった。涙を流すには私はもう年をとりすぎていたし、あまりに多くのことを経験しすぎていた。世界には涙を流すことの出来ない哀しみというのが存在するのだ。それは誰に向っても説明することが出来ないし、たとえ説明できたとしても、誰にも理解してもらうことのできない種類のものなのだ。その哀しみはどのような形に変えることもできず、風のない夜の雪のようにただ静かに心につもっていくだけのものなのだ。
unquote

1985年の僕はこの文章を読んでも、ただ翻訳小説のスタイルを気取っただけにしか思えなかったが、なぜか今読むとそんな修辞上の問題から外れた部分で脳が共鳴する。

冒頭でくどくど書いたように、休みの日をルーティンワークで埋め、それを一つずつつぶしていくのも、「心に積もるものを静かに受け止める」儀式の一つなんだ。

太陽が西に傾き空が赤く染まる頃、マフラーを首に巻いて海雲台ビーチに出掛ける。
こんな日はどこかの探偵を気取って、まだいろいろな人生に汚れていない時間の真っ当なバーのカウンターでウィスキーを飲もう。
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ギムレットにはまだ早いから。
Commented by 宗助 at 2013-02-11 23:43 x
こんばんは

ハードボイルドな(笑)休日ですね、無い物ねだりと言われるでしょうけどちょっと羨ましくもあります

私はこの小説が村上春樹の作品の中で一番好きです、引用された部分、私はその時もう40歳を過ぎていましたので、読んで涙が出そうになりました

線を引くのは恥ずかしいから紙を細く切って挟んだ記憶があったので、探してみたら606ページのその箇所がすぐ見つかりました
522,605ページにも同じように紙が挟んでましたが、読んでみるとその頃の気持ちがまざまざと甦ってちょっと気恥ずかしくも懐かしくもありました
Commented by windypapa at 2013-02-12 07:24
実は僕も今回いくつか手製の栞を作って挟み込んでしまいました(笑
普段そんなことはしないのに。変ですね。
僕の場合は40過ぎで読んでもきっと読み飛ばしていた気がします。きっと精神的な生育が遅いんですね。あるいはただこうした心の有り様に鈍感だっただけかもしれません。

こちらで真っ当なバーを探すのは難しいのですが、近場に一つ見つけたのがこのバーです。大きなプロジェクターで映画の映像を流しているのは余計ですが、耳障りでない音楽(ピアノトリオ)と書庫バー的なインテリアが落ち着きます。しかも客が少ない。(笑
これで味のあるバーテンダーがいれば良いのですが、そこまで望むべくもありません。
by windypapa | 2013-02-12 07:59 | Comments(2)

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