早いもので桃の節句を迎えた。
朝夕は冷え込むものの寒桜は咲き誇り菜の花も黄色く自己主張し杉花粉は舞い、要するにすっかり春めいてきた。
恩田川沿いの寒桜
散歩道に咲く菜の花
近所の尾根道から眺める丹沢山系もくっきりと見える。
3月2日は高校3年時のクラス会で横浜に集ったが、鶴屋町界隈の再開発による変貌ぶりに驚いた。
ピンサロ・ソープのコンバット地帯はもはや見る影もなく衰退し、未だ踏ん張っている店の真ん前には超高層ビルが竣工し、これはもうゲームセットの様相だ。
かくて横浜も浄化され骨抜きになるのだ。
何を今さら。野毛や黄金町、伊勢佐木界隈を見ればそんなことはもうわかっていたろうに。それに街が健全化し安心して暮らせるようになるのは良いことじゃないか。
それはその通りだが。我々人間のどす黒い欲望や衝動に蓋をして全て暗渠に流しその上に綺麗事の街を作るっていうのもなんだか虚しいぞ。
1971年に横浜市民となって以来大学や仕事の都合で別の自治体に何度も身を寄せながら一貫して地元意識を持ち続けた土地が、いやはやここまで変わっちまうとはなあ。
日付が変わって3月3日、孫娘の初めての桃の節句を祝い、あらためてすっかり爺さんの気分を味わってきた。やれやれ。
まあいい、週2回のエアロビとマシントレでせいぜい肉体を強化しキモいジジイになってやる。笑
さて随分と話題がご無沙汰のオーディオだが、ブログに上げないだけで毎日あ〜でもないこうでもないと悩み楽しむ日々を送っている。
いや、違うな。以前記したようにリスニングルームの音場の左右バランスが改善されてからは総じて安寧な日が続いている。
喜ばしいことだ。
特にJeff Rowland synergy II がめきめき実力を発揮し、その静謐さとレンジの広さで今は主戦プリの座に君臨している。
と言っても南アルプスの天然水のような清らかな音に宗旨替えしたわけではない。エナジーと臨場感はシステム最大のミッションのままだ。
おそらく音場改善でグッと音の密度が増したため、Synergy IIのサウンドの「薄さ・素っ気無さ」と勝手に思い込んでいたキャラクターが書き換えられたのだと思う。
いつものことだがせっかく手に入れてもこちらのウデが至らずその本来の実力を引き出しきれない機器のなんと多いことよ。
今まで離別した機器に申し訳ない気持ちがわく。許せ。
もう一つ復権したのがDS Audioの光カートリッジ&フォノイコの音である。
今までもそのノイズレベルの低さ、アキュレートでレンジの広い再生音には一目置いていたが、トーレンスユニット(従来方式カート&フォノイコ)の叩き出す桁違いの迫力ある音には及ばぬとたかを括っていたのだ。
それがこの年明けから〜つまり音場の改善時期から心地よい「圧」と「熱」を発するようになり、トーレンスユニットの牙城を脅かしている。
このアナログ2種はしかし二者択一の性格ではない。光学カートリッジの音はマグネット式とは遠い遠い、カテゴリーの違う音なのだ。
いずれにしてもこれは面白い。おぬし、化けたな。ってなものだ。
このDS Audioユニット、デジタルのテコ入れを行うための資金源として算段していたのだが、その目覚ましい覚醒に免じて手元に置いておくことにした。
なんという優柔不断さよ。
一方デジタル再生はといえば、「そこそこ」良い。
いやデジタルだけ聴いていればその臨場感・浸透力といい熱・圧といい自分史上かなりいい線行ってるのだが、アナログと比べると分が悪いのだ。
そこへ持ってきて昨年後半からオーディオの友人たちがデジタル再生に並々ならぬ決意で臨み半端ない投資とその目覚ましい成果が聞こえてきているのだ。
他人は他人、己は己というけれど興味は募る。募れども聴いたところで軍資金がなければ何もできない。だったら聴かないに限る。笑
と痩せ我慢で耳を塞いでいたが、ついに怖いもの見たさ(聴きたさ)に屈し、パンドラの箱を開けてしまったのがバレンタインデーのちょっと前。
DACマイスターのO氏宅を再訪したのだが、新規導入された弩級CDトラポと特殊な接続を行うカスタムメイドのディスクリートDACで再生される音は、これもまたスペシャルな増幅段と音声変換装置によって僕の聴覚にインパクトを与えたのだ。
当日の目玉はなんと言っても弩級トランスポートとディスクリートDACの組み合わせだったが、こちらのお宅に伺うと「ドイツ式物理学」の音声変換装置、いやまだるっこしいな、German PhysiksのDDDシステムから放射される3次元サウンドにまず耳が驚かされるのだ。
我が家のホーンシステムとは音の出方がまるで違う、しゅうしゅうと音が香り立ち部屋を満たすような感覚である。
一つ一つの成分が吟味され純度が磨き上げられた音の粒子が全方向からリスナーを包んでいくような感覚、とも言えようか。
そして以前のトラポと新規トラポの聴き比べではなるほど確かに一つ一つの音の成り立ちが別物のように変化し、より自然で説得力ある音に変わっている。
いやはや参りましたね。
何に参ったかと言ってやはり新規導入の弩級トラポの重厚かつオリジナリティ溢れる外観の佇まいとその動作の様子ーこれがCDトランスポートの原器だと言われれば納得するしかない佇まいだーであり、またO氏の編み出した独自の信号接続方法とそれを受けるディスクリートDACのクオリティだ。
そして何よりもそれらを追求するO氏の姿勢と熱い欲求だ。良い音を求める欲望だ。情熱だ。
こちとら音場が揃ったという基本条件をクリアしたくらいで安心し自分の城に籠って唯我独尊を決め込んでいたところ、ガツンと鉄槌を下されたような格好だ。
最寄りの駅前のビストロで美味いワインを飲みながらの二次会はこれから我が家のデジタルをどうしようかという作戦会議?の体となったが、う〜むと頭を抱えるばかりである。
かくして久々に訪れた心の平安は崩れ、またもや煩悩の虜となったのである。笑
しばし思案ののち最初に打った手は、我が家のデジタル将軍Wadia 21との別離である。
主を失い茫漠たる空間を晒すクアドラスパイアの図。
さてwindypapaよ、どこへいく?