初夏というより夏本番の日差しが照り付ける5月も下旬を迎えている。
しかし暑いと騒ぐわりには、コンクリートやアスファルトがまだ熱を帯びていないだけ過ごしやすい。
犬の世話ばかりで週末を過ごすのも味気ないので、家人の後をついて生田緑地の薔薇苑に出かける。
小田急向ケ丘遊園前駅から藤子不二雄ミュージアムに向けて10分強ほど歩くと駐車場入口に辿り着き、そこから山道を登ること10分強の遊園地跡地に薔薇苑が広がっている。
いまどき入園料無料というのが嬉しい。ボランティアの方々の詰めるテントで硬貨分の気持ちだけ箱に収めると、花の種を分けていただけた。なんだか申し訳ない。
薔薇苑は思っていたほどの規模ではないが、回ってみれば丁度良いくらいの広さで、なかなか見事な庭園となっている。
僕の知らない様々な名前のついた色とりどりの薔薇達が、その美しさを競うように咲き誇り、つかの間の楽園、花の王国を形成している。
聞けばこのシーズンの公開最終日ということで、そう言われてみれば昼に向けて随分と人出も増えて来たようだ。
いろいろと見た中で記憶に残ったのは「黒真珠」と「イマジネーション」。「黒真珠」は赤味の差す黒あるいは黒味の差す紅色で、とても奥行きが深い色が印象的である。
「イマジネーション」も紅色だが、落ち着いた、深い色合いの赤が茎の緑と対比をなして、これもまた甲乙つけがたい美しさである。
近いうちに我が家の庭に両種を迎えたいところだが、家人の判断やいかに。
さて自宅に戻ると今日も地下の穴倉に向かう。
DELAとLuminアプリでデジタル武装した我家のヴィンテージシステムの覚醒ぶりが凄まじく、我がことながら圧倒されるのだ。
いったいDELAなる一皮むけばただのHDDともいうべき銀箱に格納された味気のないバイナリデータが、どうやってESS9018という薄型チョコ片のような素子をくぐったのちに変換され、大きなナス型のガラス管内の電極を飛び移る微弱なアナログ信号となり、床にうずくまる黒ラブラドールがごときML-3の体内で煮え立つマグマのエネルギーを得ると、N2400アッテネーターで上下に切り分けられながら、片やアルニコマグネットの磁気回路を、他方アルミホーンレンズを奔流となって駆け抜け噴出し、大いなる波動となってこの穴倉を満たし、その床を、壁を揺らすに至るのか。
これらレビンソン、JBLなど古の兵どもが新たな精気を得て洋々と歌う様は、まるでパイレーツオブカリビアンの黒真珠号(あれ、薔薇の話はここに引き込む前振りだったの?)の内部が最新鋭の電子機器に置換され、強力な駆動力と火力を得て黄泉の海から帰還したかのごときである。
ジャック・スパロウの黒真珠号の名前を出したのは他でもない、遥か外洋を巡行する船の例示であり、それがキャプテン・エイハブのピークオドであろうが構わない。
新たなデジタル音源再生によって地下の穴倉における演奏は相当の音量に堪えうるものとなり、いままでの箱庭的再生から一歩外に、波風の経たぬかわりに浜の雑多な音から逃れられぬ湾内の海から、紺碧にうねる外洋に漕ぎだしたかのようである。
内海と外洋の違い、それは潮の流れ、覗き込む海の深さ、色、渡る風の香りに見出すことができようが、我が穴倉においては、音の密度、余韻、色彩の深み、体にかかる物理的な音圧にその特徴が現れる。言うまでもなく、現在我が穴倉を満たす音は、深く、広く、濃い。
そしてラウドだ。
DELAとUSB/DACを結ぶ愛用の平方電気製USBケーブルを、長きにわたり死蔵してきたエーワイ電子のデータ専用USBケーブルに交換したのも貢献した。
以前(4~5年前)はさほどの差を感じなかったのだが、今回の環境で投入すると、鈍感な我が耳でもはっきりと違いを聞き取ることができた。
ヴォーカルの口が締まり、音響を上げたときの「滲み」が減った。そして何より低域にブルンと弾みがついた。
ウッドベースの音が垂れ下がらず、ビンビンと立ち上がる。気持ちいいー。(かくありたい。笑)
ビートルズのリンゴのヘタUSBから移した44.1kHz/24bitをDSD変換した音が穴倉に響くと、我家のパピーのように部屋の中を走り回る衝動すら覚える。
Abbey Road のB面You Never Give Me Your Moneyからのメドレーを、気持ち良さに任せて3回も聞いてしまった。
耳を立てろ。漫然と聞くことは許されぬ。否、漫然と聞くことはもはや不可能である。